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治験翻訳A to Z
  キーワードで考える治験翻訳の世界
東京医科歯科大学非常勤講師
アルパ・リエゾン株式会社代表
有馬貫志
第1回   Adverse event:
 
  Any untoward medical occurrence in a patient or clinical investigation subject administered a pharmaceutical product and which does not necessarily have to have a causal relationship with this treatment. (1)“Clinical Safety Data Management: Definitions and Standards for Expedited Reporting” (ICH E2A) http://www.fda.gov/cder/guidance/iche2a.pdf
 
有害事象   医薬品が投与された患者または被験者に生じたあらゆる好ましくない医療上のできごと。必ずしも当該医薬品の投与との因果関係が明らかなもののみを示すものではない。 (2) 薬審第227号 厚生省薬務局審査課長通知「治験中に得られる安全性情報の取り扱いについて」
http://www.nihs.go.jp/dig/ich/efficacy/e2a/e2a.html

この連載では、治験に関する基本用語を題材にして、そこから垣間見える治験翻訳の世界を、読者の皆様にご紹介していきます。 「治験翻訳ってなんだろう?」って思ってらっしゃる方もまだまだ多いと思いますが、毎回あまり肩肘はらずに、「わかりやすくてためになる」をモットーにお話したいと思っていますので、ぜひお付き合いくださいね。 それから、単に用語の説明をするだけではなく、僕が日ごろ治験翻訳の現場で感じている疑問や問題提起なども交えてお話したいと思っています。勝手な思い違いもあるかもしれません。そのときは、ぜひ忌憚のないご意見ご叱責をお願いします。
 

治験は治療を伴う臨床試験

最初に取り上げるAtoZ用語はAdverse eventです。日本語では「有害事象」と訳されています。あ、でもちょっと待ってください。今回は最初ですから、有害事象について詳しく話す前に、治験そのものについてお話しましょう。

治験の「治」は治療、すなわち薬物治療の「治」です。治験の「験」は試験、臨床試験の「験」です。「臨床」という漢字は、「床に臨む」と読めますから、「ベッドサイドで待機すること」ですね。つまり患者さんが寝ているベッドサイドで医師や看護師などが治療行為をすることを意味しています。つまり臨床試験とは、実験室での試験や動物実験ではなく、人々を対象として行う試験という意味なんですね。

治験は、新薬の開発と販売の許可を得るために行う臨床試験です。まあ、語感的な覚え方としては、治療を伴う臨床試験というふうに考えてもいいかもしれません。これを略して治験。イメージつかめましたでしょうか?

有効性と安全性が治験の両輪

さて、治験という言葉のイメージができたところで、簡単に治験の内容についてもお話しましょう。

思い切ってとっても大雑把に言ってしまうと、治験で調べるものは、薬の有効性と安全性のふたつです。有効性っていうのは、薬の効果のこと。それから、どこかに既存の薬より有益なところがないと、新しい薬は認可されないのでその比較も大切です。もうひとつは、その薬の安全性。どんなによく効く薬でも、人体に「有害」であっては何にもなりませんからね。ほかにもいろいろありますが、とりあえず大切なのはこのふたつです。

有害事象は治験のカナメ

では、いよいよ有害事象の話をしましょう。

僕が扱ってきた仕事でも、有害事象の報告だけで100ページ以上なんてこともありましたから、まさに有害事象抜きでは治験翻訳は語れません。

でも、「ユーガイジショーって何?」って思っている方も多いんではないでしょうか?僕もこの世界に入るまでは見たことも聞いたこともありませんでした。

ではSide effectはどうですか?日本語では副作用。これは知ってますよね。

「あ、そっか。副作用って普通は体に「有害」な「事象」だから、有害事象って副作用のことね!」そう思ったあなた。スルドイですね〜。でも残念ながら両者はまったく同じではありません。

すべての薬は毒物である?!

有害事象と副作用の違いを説明する前に、このふたつの概念がどうして大切なのか、ちょっと薬の本質的なことを語っちゃいましょう。

実は薬の開発や薬物治療の歴史は、副作用との戦いの歴史なんですね。それはどうしてかというと、元来薬は毒物でもあるからです。すでに紀元前1500年ごろ、Paracelsusという学者がこんなことを言っています。

"All substances are poisons; there is none which is not a poison. The right dose differentiates a poison and a remedy."

(*http://sis.nlm.nih.gov/enviro/toxtutor/)

のっけから「すべての薬物は毒物である」って言うのも、ちょっと怖い話ですけど(笑)。

でもここで引いてしまってはいけません。これは投資と同じこと。すべての利益にはリスクが伴うんですね。だからこそ「適正な用量こそが、薬を薬たらしめ、毒物と薬物を分かつ」って言うParacelsusの言葉が大事になってくる。

そう考えると治験においても用量設定試験(薬の適正量を探し求める試験)が重要な位置を占めているのも納得です。

何でもあり!の有害事象

先ほど有害事象と副作用は同じではないといいましたが、どう違うのでしょうか?冒頭の訳文にもあるように、有害事象は、患者さんに現れている病気や症状などが、薬に起因しているか否かにかかわらず、医学的に「好ましくない事象」全てを指す言葉です。

たとえば、水虫の新薬の治験期間中に、アイスクリームを食べすぎておなかを壊しても「下痢」として有害事象に登録されるのです。どうして薬と関連性のないものまで有害事象として問題にするかというと、治験では患者さんの全身的な健康状態も重要なファクターとなるからなんですね。

それに対し、副作用はあくまで薬に起因した症状や事象を示す言葉です。厚生省の記述(2)に従えば「有害事象のうち当該医薬品との因果関係が否定できないもの」ということになります。

副作用か薬物有害反応か、それが問題じゃ!

実はAdverse eventと対になる用語としては、Side effectではなくAdverse drug reaction「薬物有害反応」という言葉が多く使われます。

冒頭の引用文献(1)はFDAのガイダンス(ICH E2A)ですが、これは治験用語の定義を掲載した公的な典拠で、そのほぼ全体を翻訳したものが引用文献(2)の厚生省の課長通知です。

課長通知ではAdverse drug reactionは「薬物有害反応」ではなく、「副作用」と訳されているのですが、本当にそれでいいのか、ちょっと疑問です。興味深いのはFDAのガイダンスにはあるのに、厚生省の課長通知ではなぜか削除されている次の一節の存在です。

The old term "side effect" has been used in various ways in the past, usually to describe negative (unfavourable) effects, but also positive (favourable) effects. It is recommended that this term no longer be used and particularly should not be regarded as synonymous with adverse event or adverse reaction.

この記述によれば、副作用には有害なものだけでなく、有益なものもあるのですし、何より、副作用を有害事象や、薬物有害反応と同列に扱うべきではないという明確な見識が示されています。

そもそも、Side effectというのはMain effectの対語ですしね。ですからやっぱり治験用語のGlossaryに収められた、Adverse drug reactionの訳として「副作用」はまずいんじゃないかと思うわけです。

ただし、GCP(ICH E6)では、この一節は消えてしまっており、結果的に「副作用」は治験文書の中に生き残ったまま、それがAdverse drug reactionのことなのかSide effectのことなのか、容易に判断できないようになっています。

これって実際に治験実務に携わっている人たちにはあまり大きな問題ではないのかもしれませんが、翻訳者にとっては、やっぱり気持ち悪いですよね。僕はこういう基本的な部分でのインフラ整備ってけっこう重要だと思うんですが、みなさんどう思いますか?

『通訳翻訳ジャーナル』2006年4月号より転載