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治験翻訳演習担当講師
東京医科歯科大学非常勤講師
アルパ・リエゾン株式会社代表

有馬貫志





《第16回》 Think a lot!
もう何年も前ですが、イギリスで言語学の勉強をしていたとき、一風変わった教授がいました。彼は授業になると、どこからともなく「手ぶらで」やってきて、大教室の黒板に向かってなにやら書き始めます。最初に書くのは、今日の講義のメニュー。でもそれはすぐに消してしまいます。我々は彼の著書を手に、講義に参加するのですが、一度も本を開けとは言いません。圧巻なのはその後です。

彼はよどみない口調で講義をしながら、その内容を黒板に次々と書き記していきます。それも相当なスピードなので、まだ英語の講義になれていなかった僕は、書き写すだけでも必死でした。60分間の講義で、大教室の黒板に4回から5回、例文や例題を含めて、書いては消し書いては消し。その間資料はおろかメモすら見ないのです。何とか彼の筆跡を苦労して読みながらノートに写し終え、授業の終わりと同時に図書館に飛んでいって清書します。驚くべきは、それがそのまま授業の内容を見事に要約したまとめになっていることでした。

件の教授が、自分とは比べ物にならないほど優秀な頭脳の持ち主なのは分かるけれど、いったいどうしたらこんな芸当ができるのか、不思議に思っていた僕は、ある日キャンパスを歩いていた彼をつかまえて聞いてみました。「Martin、いったいどうしたらあんなことができるんですか?」僕が彼の講義でのパフォーマンスのことを言っているのだと分かると、彼はたった一言、こう言ったのです。「Think a lot, Kanji」

それ以来、例えば翻訳をしていて困難な文章にぶつかったとき、彼の言葉がよみがえります。治験翻訳で扱うドキュメントの英語は概して平易なものが多いのですが、それでも時には「舌足らず」な表現や「関係詞だらけ」の長文に出会うときがあります。そこに提供された言語情報だけではどうにもならないかもしれません。そんなときは、背景情報や前後の情報などを参考に、ぜひ「よく考えて」みてください。きっと、意外な手がかりが見つかるかもしれませんよ。

つーほんメール【第103号】2006年11月21日発行より転載